Arashiology

大野担の嵐オタクによる嵐論

第十章

Another face アイドルの恋愛と結婚

 

嵐のファンは多いが、嵐と結婚できると思って応援しているファンはそう多くないだろう。

それにもかかわらず、嵐メンバーの熱愛報道が出るとファンはショックを受ける。

ツイッターに「愚痴垢」をつくり、かわいさ余って憎さ百倍とばかりに、熱愛報道のあった推しとその相手(とされる人物)に対する怨嗟を吐き出す人もいるし、ショックのあまり自殺未遂をして病院に担ぎ込まれる人もいる。

 

しかし、嵐はアイドル誌女性誌で、恋愛や結婚について語る機会も多い。

ニノは「二宮家の跡継ぎは俺しかいないから、両親に孫を見せる義務がある」(ニュアンス)と発言していたし、翔くんも「子供はそりゃ欲しいよ」と言っている。大野くんと翔くんがチャイルドマインダーとして2歳未満女児のお世話をする姿なんて、もう萌えしかなかった。

遠い将来の結婚なら想像できるのに、現在進行形の恋愛はなぜ許せないのだろうか。

 

言い方は悪いが、アイドルは「商品」として市場に提供されている。市場に提供された以上は、不特定多数の人々の目に触れ、評価され、最終的に買うか買わないか判断される。商品側がいくら売ろうとしても、魅力がなければ消費者は買わない。たとえ買っても、満足できなければリピート買いはしない。その点で、嵐が非常に魅力的な「商品」であることは言うまでもない。

 

しかし、アイドルという「商品」は、ひとたび消費者の手に渡れば、その先をアイドル自身がコントロールすることはできない。ファンは提供された「アイドル」を、本人の知らないところで好きなように料理する。ファンだけでなく、アンチも、マスコミも、アイドルを素材として好き勝手に料理する。しかし、アイドルは商品であると同時に人間なので、自分を使った「料理」に納得できないこともあるだろう。だから彼らは、アイドルとしての自分とプライベートの自分に線を引いて、コントロールできないものを切り離す。そうして、「アイドルとしての自分」をできるだけ魅力的なパッケージに包んで提供し続ける。そうしなければ、自分を保っていられないだろう。

 

嵐はヘアメイク前の顔やステージ裏の姿を見せてくれることも多いし、楽屋でもあまり変わらないと話しているが、それは決してプライベートを見せているという意味ではない。例えば、嵐メンバーはお芝居で必要な場合を除き、喫煙する姿をファンに見せない。これは社会的影響を踏まえた事務所の方針なのかもしれないが、嵐に喫煙のイメージがないだけに、楽屋でタバコを吸う嵐を見たらショックを受けるファンもいるだろう。つまり、これがプライベートの顔である。そして、そのプライベートの顔の最たるものが恋愛である。

 

要するに、ファンが嵐の熱愛報道にショックを受けるのは、嵐にプライベートの別の顔があるという事実を突きつけられるからなのだ。もちろん、ファンの多くは彼らにプライベートの顔があることを理解しているが、アイドルを生業としている以上、自分の思い描く「アイドルとしての顔」だけを見せてほしいのだ。私は嵐がタバコを吸おうが、恋愛しようが、大抵のプライベートは許せるが(そもそもファンが「許す、許さない」の問題ではないのだが)、それでも「仲がいい」、「嵐のことが大好き」という私の中の「嵐」だけは壊してほしくない。これは、ファンがアイドルに望むことのできる、ほとんど唯一の要求である。

 

では、結婚はどうだろうか。

ファンに「プライベートの顔」の存在を突きつけるという意味では、恋愛も結婚も同じだが、恋愛は生々しい反面、まだ破局の可能性もある。しかし、夢を売るアイドルにとって、結婚とは、夢の世界に現実を持ち込む行為であり、徹底的な「夢の破壊」を意味する。「花より男子」でカップルを演じた松潤井上真央ちゃんに熱愛報道が出たとき、報道が事実かは不明だが、現実世界のファンに受け入れられたのは、このカップルならば「夢の破壊」が起こらないからだ。

 

ジャニーズの既婚者は、結婚してもほとんど家庭の話をしない。それが夢を売る者の務めだと知っているからだ。しかし、いかに徹底して「プライベートの顔」を隠しても、結婚はアイドルとしての終焉である。アイドルがファンに見せる「夢」とは、そのアイドルが何もかも見せてくれている、そしてファンを大切に思っているというイリュージョンなわけだが、結婚とは、アイドルがプライベートな顔を持ち、ファン以上に大切な人を見つけてしまったと告白することだからだ。

 

私はもちろん、嵐と結婚するつもりで応援しているわけではないし、嵐のメンバーが結婚したいのならば結婚するべきだと思っている。彼らの人生は彼らのものだ。しかし、それは「嵐のことが大好き」と言っているメンバーが、嵐以上に大切な存在を見つけてしまうということでもある。それはとりもなおさず、「仲がいい」、「嵐のことが大好き」という私の中の「嵐」が変化するということだ。想像してみてほしい。ベビーカーを押す松潤や子供の入園式に出席する翔くんを。彼らは変わらず仲がいいだろうけれど、ファンには見せない顔でパートナーとくつろぎ、メンバーよりも家庭を優先する、そこに私の知っている「嵐」は存在しない。

 

「アイドルとしての顔」だけを見せてほしいというファンの願い。結婚しても、彼らはその願いに応えようとしてくれるだろう。「アイドルとしての顔」を見せ続けてくれるなら結婚しても構わない、私は引き続き夢を見られるというファンもいるだろう。しかし、少なくとも私にとっては、嵐の描く完璧な五角形は、一人のメンバーの結婚で形を変えるものだ。

 

形を変えた嵐を同じように応援できるのか。アイドルとしての顔と同じように、プライベートの顔も応援できるのか。その覚悟をファンに問うのが、アイドルの結婚である。

2019/4/4