Arashiology

大野担の嵐オタクによる嵐論

第十二章

What made them decide that? 彼らは何を思って休止を決断したか

 

大野くんが嵐をやめようと決断した背景には、危機感があったと私は推測する。

それは、自我を見失いそうな危機感だ。

若い頃から常に違和感はあっただろうが、特に嵐がブレイクしてから、その危機感は加速していったのではないだろうか。例えるなら、「プライベートの自分」は自分の足で歩いているのに、「アイドルとしての自分」はリニアに乗って、ものすごいスピードでレール上を走っているような。彼はブレイク以降、嵐の状況を「足が地に着いていない感じ」と何度か語っているが、それはまさに現実を受け入れ切れない精神状態を表してはいないだろうか。リニアに乗っている自分が「大野智」なのだと受け入れようとしてみたが、自分の足で歩いている「大野智」をついに無視できなくなったのかもしれない。

 

当初、大野くんは自分だけ嵐をやめようと思っていたらしい。

自分自身の危機感が原因なら、他のメンバーを巻き込むわけにはいかないからだ。

翔くんが言ったように、メンバーに相談した時点で、大野くんの心はもう決まっていたと思う。他のメンバーは当然驚いたし、何とか嵐を続けられないのかと説得もしたと言っていたが、大野くんが翻意しない以上は、大野くんなしで嵐を継続する選択肢も考えただろう。

 

今にして思えば、それがちょうど2017年後半のことだ。当時彼らが準備を進めていた「untitled」のアルバムやツアーには、彼らが様々な検証を行い、葛藤した形跡がある。コンサートに参戦し、「untitled」ツアーは何か今までと違う気がしたと語るファンもいた。「untitled」に彼らが何かのメッセージを込めたのか、それは分からないが、少なくとも彼らが終わりを意識しながら作ったアルバム、そしてツアーであることは確かだ。

 

様々な可能性を探った結果、「やはり嵐は五人でなければならない、だったら解散しよう」という結論が一旦は出されたらしい。それは、バラエティ番組にせよ、CMにせよ、歌にせよ、コンサートにせよ、「四人の嵐」に現実的な違和感や不具合が予想されたからだろうし、ニノが言っていたように、「五人でいる、ずっといる」という言葉を嘘にしないためでもあっただろう。

 

嵐を解散するという結論に至ったとき、大野くんとしては複雑だったと思う。

「五人でなければ嵐じゃない」というメンバーの結論は嬉しくもあったろうが、自分だけが脱退するほうが、申し訳なさは何倍も薄かったはずだ。しかし、嵐が話し合って決めた以上、その罪悪感は自分が背負うべきものだと覚悟したのだろう。「リーダーさえやめたいなんて言い出さなければ…」とファンの恨みを一身に買うことも、当然予想しただろう。休止会見の大野くんは、すべて背負う覚悟を決めているように見えた。

 

それでもなお、「嵐をやめる」という決心を翻さなかったのは、自分を嵐から解放しなければ、自分が自分でなくなってしまうという危機感と同時に、嵐のことも嵐から解放しなければならないという冷静な視点があったように思う。ファンがこんなツイートをしていた。「大野くんは若い頃からずっと休みたかっただろうけど、大野くんのやりたいことと、嵐がやるべきことが一致したタイミングだったんだろうね」(ニュアンス)。私もそう思う。

 

ここで言う「嵐がやるべきこと」とは、嵐を嵐から解放することだ。大野くんの目には、嵐自身もひとつの潮目にいると映っていたのではないだろうか。

 

嵐は今も変わらず人気だが、単純にCDの売り上げを見ても、後輩グループの台頭を見ても、上り坂にいるグループではない。嵐にはキラキラした青春のイメージがあるが、彼らはもう青春の時期を過ぎ、大人として安定した人生を歩み始めている。嵐はかわいいと言われるが(実際にかわいいが)、それでも確実に年齢は重なっていく。そして、先にも書いたように、嵐という完璧な五角形は、メンバー一人の結婚によってすら形を変える。変化は避けられないのだ。

 

大野くんは若い頃に、「嵐を五人別々の個性があるグループにしていきたい」という趣旨の発言をしている。結果として今の嵐があるのだが、それは同時に、同じ分野で競わないようにするという暗黙のルールがあったということでもある。

 

例えば、大野くんは英語をやりたいと過去に何度か発言しているが、嵐の英語担当は翔くんだ。大野くんと翔くんはソロコンサートを自分で演出して楽しかったと振り返っているが、嵐のコンサート隊長は松潤だ。嵐の動物担当は相葉君だ。嵐の役者担当はニノだ。そうやって、嵐が嵐であるために、お互い遠慮している部分はなかっただろうか。自分自身を縛っている部分はなかっただろうか。嵐のイメージを壊さないために、敢えて避けてきたことはなかっただろうか。嵐は平和主義だが、平和主義には負の側面もある。

 

もちろん、嵐のメンバー自身は、遠慮して自分を縛っているなんて思ったことはないだろう。彼らはのびのびと個性を伸ばした結果、今のような絶妙なバランスのグループになったのだから。しかし、嵐というグループが大きくなって、ひとつのプロジェクトになってしまったことで、彼らに求められる役割ができ、制約が増えたことは想像に難くない。そして、グループであるがゆえに、その「制約」は各メンバーの足それぞれに絡み合っている。

 

大野くんが問題提起したことで、嵐はグループであることの制約や連帯責任、自分たちの将来に向き合わざるを得なくなっただろう。どんなに仲が良くても、五人の人生に同じ未来が待っているわけではない。五人が別々の人間で、別々の人生を歩んでいる以上、いずれ道が五本に分かれることは避けて通れない。いや、本当は初めから五本だったのだが、それが分からなくなるくらい五人でがっちり肩を組んで並走してきたのだ。運命共同体だったのだ。

 

「一度嵐をたたみ、五人それぞれの道を歩んでもいいのではないか」という大野くんの発言は、そこを指摘しているのだと思う。五人が一本の道を歩いているかのように錯覚させるもの、五人の足に絡み合っている「嵐」という制約を、一度取っ払うべきだと。

 

そして大野くんの言った、「今までとは違う、縛られるものを一度払って、その時に、自分が何を思って何をするのかにも興味がある」という言葉は、「アイドルの自分」に引っ張られている自我、つまり、自分の足で歩いている「プライベートの自分」を取り戻した時、自分が何を望んでいるのか見えてくるかもしれない、という意味だと私は解釈した。

 

大野くんは言葉で伝えるのがあまり得意ではないと思うが、なるべく正確に自分の考えを伝えようと、メンバーと話し合ったのではないだろうか。そして、メンバーも自分の気持ちと擦り合わせながら、大野くんの考えや気持ちを理解していったのだろう。

 

その結果、嵐が解散という結論に至ったのは当然と言えば当然である。

実際、嵐がこの話し合いをしている前後最中も、SMAPにしろ、TOKIOにしろ、タッキー&翼にしろ、アイドルの身の振り方を考えさせられる出来事はたくさん起きている。自分たちの望まない形で変化を迎えるくらいなら、自分たちの手で幕を引く。そしてそれを、一滴の不純物も混入させずに、自分たちの言葉で伝える。あまりにもカッコいい選択だが、それは嵐が嵐を好きだからこそだと思う。翔くんが言うように、「嵐を宝箱に閉じ込める」ことで、彼らはキラキラした今の嵐を「永遠」にしようとしているのだ。

2019/4/7