Arashiology

大野担の嵐オタクによる嵐論

附章三

All I can do is wait and see できることは、見守ることだけ

 

21年目の各プロジェクトに加えて、ニノの結婚にまつわるゴシップ、不仲説といった(無用の)話題を振りまくなか、嵐は「5×20」コンサートオーラス前の記者会見で、さらにスケールの大きいプロジェクトを発表した。「A-RA-SHIRebornMVでのアニメONE PIECEとのコラボ、Netflixでの嵐ドキュメンタリー「ARASHI's Diary Voyage」の世界配信、「日中文化スポーツ交流推進年親善大使」就任などである。今を時めく米津玄師とのコラボで、NHKのオリンピックテーマ曲を担当することも明らかになった。

 

こうした華々しいプロジェクトをもってしても、私の嵐への熱量は回復しなかった。ONE PIECEは原作もアニメも好きなのだが、コラボMVはいまひとつピンとこなかったし、ネトフリのドキュメンタリーはまだ観ていないが、観た人の感想によれば、積極的に見たい感じでもないらしい。活動休止に関しては、当時の記者会見で嵐が語った以上のことを聞きたくないという気持ちもある。新たな情報が出ることで、せっかく整理した自分の気持ちを再び乱されるのが嫌なのだ。嵐はこれ以上、何を見せるつもりなのだろう。

 

そんな中、久々に嵐っていいなあと思わせてくれたのは、「嵐にしやがれ」の正月スペシャルだった。大野丸の企画に相葉ちゃんが登場して、「(2020年を嵐として)走り切りました、(その後)どうするの?」と直球すぎる質問を投げかけたのだ。しかしそこは天然コンビ、「急に会わなくなるの、ちょっと寂しい」「(2021年の11日は)五人で飲みたいね」といういかにも嵐らしい会話に落ち着く。そして二人は、「二十年 智(雅紀)といれて 幸せだ」という締めの川柳をお互いに詠んでハグを交わすのである。ワイプに映る翔くんの表情がもはやオカンのようだ。やはり、嵐の空気を作っているのはこの二人の妖精さんに違いない。

 

結婚を発表して、ニノがバッシングにダメージを受けていただろう時期、そしてメンバーもギクシャクしているとされた時期、嵐の空気を和ませてくれたのは相葉ちゃんだったのだと思う。口数が少なくなったニノに積極的に話を振ったり、大野くんを巻き込んでニノをマッスル部に入れたりと、明るく自然に振舞ってくれたことが容易に想像できる。嵐に相葉ちゃんがいてくれてよかった。たかがバッシングくらいで、メンバーが孤立するような嵐でなくてよかった。おかげで、一時はぎこちなく見えた嵐だが、時間が経つにつれていつもの空気感が戻ってきた。私も、どうやらニノを嫌いにならずに済んだし、嵐から離れずに済んだ。

 

2020年が明け、いよいよ嵐の活動もカウントダウンに入った。最後のお正月特大号雑誌、最後のお正月特番。今まで当たり前に続くと思っていた恒例行事に、「最後の」が付く一年だ。嵐が活動休止を発表してから丸一年が経ち、改めて激動の2019年を振り返ってみると、どうやら嵐は2019113日、つまり嵐満20歳の誕生日をひとつの区切りと考えていたようだ。

 

この日を境に、嵐はそれまで温めてきたことを一気に解放した。プロジェクトは、嵐の活動休止が発表された時から始まり、私たちが知らないあいだずっと水面下で構想が練られ、話し合いが行われ、準備が進んでいたのだろう。温めてきたのは、SNS解禁であり、デジタル配信であり、動画配信(You Tube、ネトフリ)であり、海外訪問であり、海外公演である。他にもまだあるのかもしれない。こうした新しいチャレンジをする裏には様々な理由があるはずだ。例えば、活動休止中も嵐の存在感を示すためだとか、事務所や後輩のために検証データを残すためだとか・・・。しかし、私は同時に、「残された期間を、これまでの活動を振り返るだけの感傷的な時間にしたくない」という嵐の意志も強く感じるのだ。

 

思うに、彼らが20年間を振り返る作業は、「5×20」という曲やMVを作った時点で終了していたのではないだろうか。嵐のスケジュールは年単位で決まっているし、私たちがその成果を受け取る時には、彼らはもうずっと先を見ている。松潤113日の記者会見で、21年目のテーマは「Reborn」だと言っていた。Reborn、つまり再生だ。恐らく、嵐の20年を宝箱に入れる作業は「5×20」の制作をもって終わり、嵐は前を向いて次のフェーズを歩き始めている。そしてその先には、活動休止後も続いていく彼ら一人一人の道がある。

 

ニノが結婚報告で、「20年という区切り」とコメントした時、ファンは「5×20のツアー中なのに、どこが区切りなんだ」と非難囂々だったが、彼らのなかでは、確かにここが区切りだったのではないか。また、彼が「メンバーの反対を押し切って結婚を強行した」と糾弾するファンもいたが、実際はきちんと話し合っていて、113日が区切りだというメンバーの共通認識があったからこそ、1111日の入籍が妥協点となったのではないか。大野担の中には、「(結婚した)ニノも(熱愛報道があった)翔くんも、自分だって嵐とは別にやりたいことがあったのに、嵐活動休止の責任を大野くんひとりに負わせた」と非難する意見もある。しかし、大野くんがきっかけをつくり、嵐を畳むという選択肢が現実味を帯びてきたからこそ、メンバーは自分自身の人生に向き合わざるを得なくなったのだと私は思う。ニノが結婚を意識したのはその流れだろうし、翔くんが恋愛を解禁したとすれば、それも活動休止後の人生を見ているからだろう。そして、そうなることこそが、大野くんが嵐を畳みたいと望んだ理由のひとつなのではないだろうか。

 

私が嵐の新しいプロジェクトやニノの結婚を受け入れられなかったのは、生まれ変わって次のフェーズを歩き始めた嵐と自分の気持ちにギャップが生じたからだ。「あと一年で嵐が見られなくなってしまう」という感傷から離れられない私が、不満を感じ、今までのような熱量で嵐を応援できないのは、新しい嵐に気持ちが追い付かないからだ。

 

しかしそんな中、大野担が救われるのは、大野くんがどちらかというとファンの感傷に寄り添ってくれることだ。恐らく、「新しい嵐」というグランドデザインは松潤と翔くんが中心になって描いていて、もちろんそれはメンバー全員が納得したうえでの総意なのだが、大野くんの場合、自分が休止を言い出した責任もあり、たとえ「新しい嵐」に違和感があっても、メンバーの意向に沿うことが使命を果たすことだと腹をくくっているフシがある。しかし、他のメンバーは新しい嵐として2021年からも活動を続けるが、大野くんは2020年末で嵐を畳むのだ。彼の視線はその先ではなく、2020年末に向いているはずで、だからこそファンの感傷にシンクロできるのだろう。

 

嵐は、「2020年末まで僕らに付いてきて来てください」と言う。しかし、これまで追いかけてきた、私の好きな嵐が形を変えつつあることはもう明白だ。それに気付いてしまった以上、これまでと同じように追いかけることはできそうにない。いや、同じように追いかけなくてもいいのだ、多分。

 

嵐があと一年間、私たちに何を見せようとしているかは分からない。ネトフリのドキュメンタリーを観た人の感想から想像するに、彼らはこれまで20年間のキラキラした嵐を脱ぎ捨て、リアルな一人の人間としての姿を見せようとしているのではないだろうか。キラキラした砂の城を崩して、ただの砂浜に戻すように。それがアイドルとして正解なのかは分からないし、彼らが次のステージに踏み出すためには必要な荒療治なのかもしれない。いずれにせよ、答えは一年後にしか分からない。

ここまで嵐を見続けてきた者として、その答えだけは見届けたい。色々なことに気付かないふりはもうできないが、走り切る嵐を見守り、見届けよう。

そして一年後、私は何を思うのだろう。

2020/2/3